サン・セバスチャンでの海釣り

サンパウロからリオ・デ・ジャネイロ方面に車で2-3時間ほど行ったところに、サン・セバスチャンという港があります。港と言っても、ただ桟橋があるだけで、建物もないし、トイレもありません。1-2㎞離れた対岸には、イラベリャ島という、Googleマップでみると宮古島や石垣島よりやや大きいぐらいに見える島があり、その島との間が”漁場”となっています。船酔いが心配されたものの、行けるときに行っておこうと、今回初めてブラジルでの海釣り体験となりました。

荷物が多いので12人は楽に乗れる小型バスをチャーター。参加者は6人でしたので車内はゆったり。これから始まる釣りの話題も盛り上がります。その日の本命はイカ。明るいうちは餌釣りで普通の魚を狙い、本命のイカは夜釣りとなります。

 

*当日借りた釣り船。後ろに見えるのがイリャベラ島です。

”前座”と言ったところの餌釣りですが、カワハギが多くかかりました。ほかには太刀魚やフグ、その他名前の分からない雑魚など、初心者の私でも結構釣れました。 しかし、船に乗ってから食べたランチ(自分で用意したおにぎり)がいけなかったのか、船酔いの薬を飲んだにも拘わらず、しばらくしてから“撒き餌”をしてしまう事態に。通常一旦こうなると気持ち悪い状況がずっと続くのですが、その後は結構回復し、夕方には幹事のIさんが用意してくれた、シュハスコ(焼肉)やビール、そうめんをおいしくいただけたのでした。船にはちゃんと焼肉ができる道具が供えられられており、現地人の船頭さんが焼いて配ってくれました。なぜかそうめんがメチャおいしかったです。

*そうめんがおいしかった。上部の船首右側に載っている蓋が開いたバケツのようなものがシュハスコ(焼肉)を作るコンロ。炭を持ち込んて焼きます。
*大型の太刀魚。この参加者は太刀魚を狙って見事釣り上げましたので立派です。ただ太刀魚はイカを食べるので、太刀魚のいるところイカはいないと言われています。

さて日も沈み、メインイベントのイカ釣りの開始。イカの場合は餌釣りではありません。小さなエビのように見える疑似餌の先に針が数本”V字状状”に付いており、それを捕まえようとイカが足をつかって包み込んだところを、ひっかけて上げるといった感覚です。しばらくすると待望のイカがかかったものの、その後はサッパリ。 なんと6時間も頑張ったのに、そのイカが最初で最後でした。イカがいなかったのか?というと、なかには30匹も釣った人もいたのですから、そんなことは無かったと思います。使っている道具、疑似餌なども同じように見えましたし、船のなかでは場所は違えど、広い海からみれば同じ一点のはず。私のようにほとんど釣れなかった人もいたし、30匹の人も居たということは、腕の違いということでしょうか。

*集魚灯に集まった小魚。

翌日日曜日の朝5:30ごろになると夜が明けてきて、イカ釣りもそれまで。全員道具を撤収し、赤い太陽が東の海から上りつつあるなか、良く冷えたスイカを食べながらのサン・セバスチャン港への帰途は、戦いを終えて帰還するかのような安堵感が漂うのでした。私のように”敗戦”した者にとっては、そこにちょっぴりさみしさが加わりますが。             

*近くを通る大型のクルーザー。金持ちはどこにもおります。
*釣れたイカとカワハギの皮をむいたところ。刺身としていただきました。どちらも美味です。高いイカ刺しですが。

与喜食品スキャンダル

先月Yoki(与喜)ブランドのPao de Queijo(チーズパン)の紹介をさせていただきましたが、今やYoki Alimentos(与喜食品)はブラジルでは知らない人はいないくらいの大手食品会社です。それだけに2012年5月与喜食品創業者の長男バラバラ殺人事件も、ブラジル人なら誰もが知っている大事件です。          その長男の名前はマルコス・マツナガ氏。当時与喜食品の取締役を務めておりました。1歳の娘が居たということですから、まだ30代であったと思われます。    事件の発端は、マルコス氏の浮気なんですが、なんでも高級車を浮気相手にプレゼントしたことが発覚し、あるレストランで食事中に奥さん(エリゼ・マツナガ)と激しい口論となりました。しかしレストランであったこともあり、一旦は収まり一緒にいた1歳の娘と乳母とともに一旦は自宅に帰ったそうです。しかし、自宅に帰ってからまた再燃。激昂した奥さんはピストルでマルコス氏の頭を撃ちぬいて即死させてしまいます。                             マルコス氏は銃砲のコレクションを趣味としており、家には40丁の銃と1000発を超える実弾があったそうです。皮肉なことにそのピストルは、以前自分で奥さんにプレゼントしたものであったそうです。                   エリゼ(奥さん)はその後誰も居ないメイド部屋で、マルコスの体を包丁を使ってバラバラに切り分け、それをビニール袋に詰め、スーツケースに入れて人里離れた郊外に運んで、捨ててきたそうです。

*Yoki食品の製品。

バラバラになった死体はすぐに発見され、犯人捜しが始まりましたが、このバラバラの仕方があまりに見事だったので、鑑識官は解剖学などに明るい人物の犯行ではないかと目星をつけたそうです。実はこのエリゼは看護師の資格をもっていました。しかしマルコス氏と出会った2004年のころは娼婦であったとも報道されています。看護師がなぜ娼婦をしていたのかちょっと理解に苦しみますが、解剖学の専門家ではないものの、看護師ですからある程度人間の体については詳しかったに違いありません。                              当初彼女は犯行を否認していましたが、エレベーターのカメラに(バラバラの死体を詰めたであろう)大型のスーツケース3個を運びだすところが映っていたこともあり、まもなく全面的に自供。ブラジルでは死刑はないので、無期懲役となり一生刑務所暮らしということです。                       ちなみに浮気相手も娼婦だったようで、”なんでそんな大金持ちが娼婦なんかに!?”とはポルトガル語の先生のコメントでした。また、”ラテン系はみんなそう!”(激情型)とも。言い方を変えると情熱的?              何も殺さなくとも、とは思いますが、ブラジルではマルコス氏も自業自得、という見方も多いとか。

*エリゼ容疑者。確かに美人ではあるけど、そう思ってみるせいか怖い感じもあり。

エアコン設置

インドでは酷暑期間も長く、エアコン無しの生活は考えられなかったですが、ここサンパウロではエアコン無しで過ごす人も少なくありません。それだけ気候が良い証拠です。夏は最高35度ぐらいになりますが、標高が高い上(800mほど)割と乾燥しているので、夜は25度以下に下がり、2月上旬の今は夏の真っ盛りですが、熱帯夜というのはほとんどありません。                    私の前任者は5年間もサンパウロに居たのですが、大家さんがエアコンを入れてもいい(費用も負担してもらえる)と言われていたにも拘わらず、エアコン無しで通しました。インドから見れば、こちらの暑さなどというのは可愛いもので、私もエアコンは要らないと考えていたのですが、1月中旬に少々蒸し暑い日が続き、夕方西日も入って汗ばむ日も多くなったので、思い切ってエアコンを入れる事に決めました。                                   以前と同じように、大家さんが費用を負担してくれるか確認したところ、   ”半分とか一部を負担してくれないか?” と言ってきました。        ”では、納入費用をこちらで負担するか、もしくは3台必要なところを2台にすることでどうか?” というこちらからの逆提案。アパートは日本で言う2LDKです。その後業者に下見してもらったところ、技術的に3台は置けない(室外機を置くスペースがない)、ということなので                     ”2台で我慢するから全費用を負担してください” という案で大家さんも合意。 ダイキンのエアコン2台で、納入費入れてR$6,500-(170,000円ほど)。2台といっても結構大型なので、なかなかリーズナブルな価格と思います。ダイキンだけどきっとブラジル製でしょう。

しかし、導入を決めたとたんに秋のような陽気になってしまい、最高でも30度を超える日はほとんど無くなってしまいました。家電製品や携帯など、買い替えると決めたとたんに故障する、なんてことがよくあることですが、いずれまた暑い夏は戻ってくることを”期待”するしかありません。むしろ、冬が結構寒くて、冬にこそエアコンが必要なのかも。

1月29日が納品日と決まりました。ダイキンの代理店は山田さんという日系3世。20年ほど前に日本で働いていたことがある会社のスタッフの知り合いで、日本のソニー岡崎で一緒に働いていたそうです。                  ”納入工事は10時過ぎごろからになると思います” と言われたのですが、なんとその通り納入作業員4人と電気工事業者1人がちゃんと10:30に来てくれました。さすが!インドとは大違いです。                        私のアパートはやや古いせいか(20年ぐらい前のもの)エアコン用の穴と220Vの電源がなかったため、ドリルでの穴あけや電源工事なんかで一日仕事になってしまいました。 予想はしていたものの、壁に穴を開ける際に出たコンクリートの粉が部屋に散らばってしまい、後始末が結構大変でしたが、まあこれでいつ暑くなっても寒くなっても安心です。しかし、今日2月3日も外は雨、最高気温はたったの23度。まだ一度もエアコンを使っていません。  

*左の人はエアコン屋(山田さんの会社の人)で右側が電気工事屋さん。配電盤から壁の裏と天井裏を通して220Vを引いてくる作業は大変でした。でもさすがにプロ、特殊な道具を使ってなんとかやり遂げました。(部屋の中を使って配線するのは簡単ですけど)
*室外機の設置作業。彼らは日系人ではありません。
*無事設置完了。やはりダイキンだけどブラジル製でした。もちろん動作には何の問題もありません。

 

Pao de Queijo

Pao de Queijo(パォン・デ・ケイジョ)とは、チーズパンのことなんですが、最初のPaoは、、日本語の「パン」の元と言われているポルトガル語です。    ブラジルではこのPao de Queijoがほぼどのベーカリーでも、あるいは朝早くから営業しているカフェなんかでも売っており、近くを通るとチーズの香ばしい匂いが漂ってきて、食欲をそそります。                     ベーカリーで買うと結構高くて、ゴルフボールとテニスボールの中間ぐらいの大きさで5ヘヤイス(135円)ぐらいします。独特のモチモチ感とチーズの味が絶妙と思いますが、普通のパンのように小麦粉が原料かと思いきや、Mandioka(マンジオカ。キャッサバの方が一般的かも。あるいはタピオカ。今日本で流行ってる?)という芋類の仲間が原料であること最近知りました。要はマンジオカ芋のでんぷんを原料にしているわけです。                         その原料にチーズなどをブレンドしてPao de Queijoが手軽に作れる商品が売っており、それを使えば家でも手軽作れとのこと。               

早速試してみようと、近くのスーパーに行ってみると、あるあるいっぱい置いてありました。”これか・・”とPao de Queijoの写真が貼ってあるので、なんの疑いもせずに購入。そもそも書いていることがわからないのですから、写真のみで判断。ところがそれはMandiokaの粉そのもので、Pao de Queijo用にブレンドしたものではないことが作ってみてわかりました。粉を練り始めて、なんかおかしいなとは思いましたが、元に戻すわけにもいきません。結果、ちょうど片栗粉を水で練って焼いたもの、という感じです。食べられなくもないけど、とても食べる気にならないものとなってしまいました。

*袋に印刷してある写真はPao de Queijoそのものです。なんの疑いもなく”これに違いない” と買ってしまいました。もちろんこれはまがい物、というわけではなくて、チーズと+アルファを加えれば写真のようなPao de Queijoになるはずです。
*結果はパンとはほど遠いものに。片栗粉をこねて焼いたようなものですから、食べられないものではありませんが、とてもそんな気になりません。

教えてもらった正しいブランド名は、「与喜(Yoki)」というもので、その名の通り日本人が始めた会社です。出身は沖縄の人か?いまやどこのスーパーでも売ってないところはないくらいに普及していて、Pastel da Mariaのように成功した日系人の一例、ということになります。                      今度はちゃんとYokiの名前の入ったPao de Queijo用の材料を買いなおし、再度挑戦。さすがによくできており、いとも簡単にPao de Queijoが出来上がりました。お味の方も、まあまあ。店で売っているものよりあっさりとしており、食事にするには飽きがこなくていいかも知れません。

*こちらが正しいYokiのパッケージでした。卵2個と水100㏄を加えて練って、ゴルフボールぐらいの団子状にしてオーブンで焼くするだけです。
*焼きあがったところ。表面の艶がいまいちですが、中はモチモチのチーズ味。これは日本にはないと思います。

勝ち組、負け組

タイトルは違いますが、これはこの前の”ブラジル日本移民史料館” の続きです。「勝ち組・負け組」は、単にブラジルに渡った日本人のなかの成功組とそうでもない組という話ではありません。

最初の移民がブラジルに渡ってから30年ほどで太平洋戦争が始まり、そして敗戦によって帰国が叶わなくなってしまいました。                 しかし、日系人社会の中では、”日本は負けたのではない、勝ったのだ” と主張するグループが現れました。いわゆる「勝ち組(信念派とも)」が登場し、負けたことを認める「負け組(認識派)」を「非国民」呼ばわりして襲い、20人近くの死者を出すまでの大事件になりました。                     現代の私たちにはちょっと信じられないような話なのですが、当時はTVがあるわけでもなく、ブラジルは敵国だったので新聞はおろか、日本語の使用まで禁止されていましたので、正確な情報を得ることはとても困難であったことは間違いないでしょう。また、日本人なら誰しも「勝ち」を信じたかったでしょうし。     そのうちブラジルでも平成天皇のご成婚の映画なども上映されるようになったりして、”ほら見ろ、日本はあんなに発展しているではないか。日本はやはり勝ったのだ!”と勝ち組が勢いついたりもしたようですが、「負けた」という事実を曲げることはいかんせん無理があり、敗戦から10年ぐらい経ったころにはこの争いも終息していきました。                              

*戦艦ミズーリ号での降伏調印式の写真。「これは武装解除された米軍が、刀を持った戦勝国日本をお迎えしているのだ」というのが勝ち組の主張です。そう言われるとそのようにも見えます。

* この写真は「敗戦国アメリカの責任者が日本にお詫びしているのだ」というのですが、これは偽造と思われます。いずれも「ブラジル日本移民の100年」より。

もはやこの先ブラジル人として生きて行くしかないと決めた日系人たちは、またも奮起し、コーヒーの栽培だけでなく、日本風の野菜や果物を栽培、普及に努め、日系人は”農業の神様”とまで呼ばれるようになります。             また教育に熱心な日本人ですから、2世3世達には無理をしてでも教育を受けさせ、大学教授、医師、政治家、大企業の幹部など、多くの日系人が要職で活躍しています。 日系人は全体の1%にも満たない数ですが、ブラジルで最難関と言われているサンパウロ大学の医学部、歯学部の10%近くは日系人が占めると言われています。

一方、勝ち組・負け組の騒動が終息したころから、日本は高度経済成長で豊かになり、今度はブラジル日系人の2世、3世が日本に出稼ぎに来る、という皮肉な状況が生まれることになりました。現在日本には20万人ほどの日系ブラジル人が居るそうです。そんな日本に渡ろうとした多くの人は、戦後の勝ち組の家族、すなわち日本語を棄てなかった人たちが中心であったと考えられます。

ブラジル日本移民史料館

日本人街であるLiberdage(リベルダージ)の一角にブラジル日本移民史料館があります。およそ110年前から始まったブラジルへの移民の歴史を展示しています。 現在200万人と言われる日系人ですが、最初から移民としてブラジルに渡ったわけではありません。「ブラジルで一旗揚げて」日本に”凱旋”するはずだったのですが、第二次大戦の勃発と敗戦によって帰国が叶わないことになってしまい、止む無く永住(移民)にならざるを得なくなったのです。(ただし、戦後の移民は別で、多くは最初から移民になるつもりでブラジルに渡った人たちです) 

1908年、第一回移民船(笠戸丸)が神戸を出港しブラジル移民の歴史が始まりました。ほとんどはコーヒー園のコロノ(土地を持たない短期契約農民)として生活を始めました。もちろん他の国からの移民、たとえばイタリアやポルトガル、スペインなどからもたくさんいたのですが、日本人が派遣された地域はコーヒーの収穫量があまりよろしくない地域になることが多く、収穫量に応じて”給与”が支払われたため、多くの日本人は苦労したそうです。 その上言葉が全く分からないので、自ずと日本人同士で助け合い、来たるべき日(日本に錦を飾る日)に備えて子弟のための日本語学校なども建てられ、日系社会が形作られていきました。 

*館内にある移民船「ブラジル丸「」の模型。移民はほぼ日本全国からあったようです。
*コロノの住居。気候は良いので、こんな家でも寒くはなかったと思われます。
*住居内の様子。居間兼食堂。
*昭和天皇の写真を掲げているところが時代を感じさせます。奥が寝室。
*ボートで移動する家族の様子。

そんなブラジル移民を描いたNKKドラマ、「はるとなつ、届かなかった手紙」は今でもYou tubeで見られますのでお勧めです。全部で5話(約5時間)楽しめます。 https://www.youtube.com/watch?  https://www.youtube.com/watch?v=5yRO172oICg                                 

また、第一回芥川賞受賞作品、石川達三の小説「蒼茫」は、石川達三自身が移民船に乗り込んでの体験をもとにしたものです。本気で移民するつもりではなかったと思いますが。                                                                                                                      

粕漬けに挑戦

サンパウロでは酒粕も売っていることを知り、発酵食品をこよなく愛す筆者としましては、粕漬けに挑戦することにしました。サイトを覗くとその辺の情報はいくらでもあります。そのなかで”お勧めの粕漬け10品”ということで、キュウリなどの野菜や、鮭、鱈、イカあるいは豚肉なんかが紹介されていましたが、中にはマシュマロなんてのもありました。魚が手軽に手にはいるサンパウロですから、まず鮭とイカの粕漬けを作ってみることにしました。                  材料は至ってシンプル。酒粕と味噌、砂糖、塩だけです。ただ、酒粕はお酒か水で溶いて柔らかくして使うということを今回学びました。これを知っていると知らないっていないでは大違いです。

*サンパウロには東酒造というブランドがあり、そこの”酒粕”です。500gでたったの150円ほど。
*イカの粕漬け。3日ほど冷蔵庫に置いて、酒粕を取り除いたところです。洗い流したわけではありません。
*こちらは鮭の切り身。漬けた後は身の色が少し濃くなったように見えました。
*焼きたての鮭の粕漬け。少し残った粕が焼けて、その香ばしい味がまたなんとも美味でした。

さてお味の方ですが、ほぼ期待通りでした。日本橋の○○とか銀座のXXといった一流の店のものには及ばないでしょうが、スーパーで普通に売っている魚の粕漬けのレベルには達していると思います。レシピ通りに材料を混ぜて、そこに魚を入れて冷蔵庫に入れておくだけですから、まず失敗することはありません。味噌をもうちょっと良いものを使ったら、本当にプロの味になるかも知れません。今度日本で良いみそを買って来よう。

コンビニ弁当

インドに居たころは、”コンビニ弁当があったらどんなに良いだろう” などと思っていましたが、サンパウロでは日本人街(Leberdade)に行けば売っていることは分かったものの、そこに行くには電車を乗り換えて2-30分ほどかかってしまいます。ちょっと裏のコンビニで、というわけにはいかないのです。

ところが最近、自宅のすぐ近く(歩いて3-4分)のところに日本風のコンビニがあることを発見しました。その名も”Hirota”。日系スーパーで、7:00~22:00まで開いているのでコンビニと言っていいでしょう。そこには夢にまで見た”コンビニ弁当”もありました。サンパウロに来て3か月ほどが経ち、地元メシにも少々飽きが来たところで、早速試してみることにしました。              7時から開店しているわけですから、事務所に行く途中で買って、事務所のレンジで温めて食べてみよう。お寿司類はたくさんあるのですが、弁当類は2-3種類しかありません。無難に”唐揚げ弁当”らしきものを選択し、お値段19.99レアル(540円ほど)。ほとんど日本と同じような値段。しかもこの店ではAleloカード(以前紹介した”ランチカード”)が使えます。

*大通りからやや奥まっていたため、何度も前を通っていたのですが、気が付きませんでした。
*Hirotaの弁当コーナー。どちらかというと寿司類が主となっています。

”XXさん、(私の名前)ランチ行きましょうか?”              ”実は今日ランチを持ってきてるんですよ”                 ”へー!?そうですか” と少々驚きの表情。こちらに来てからランチ持参は初めてですからね。少々ワクワクしながらレンジで温めて、さてお味の方は?     うーーん、似て非なるものとはこのことか。唐揚げそのものは日本のものとそうは変わらないのですが、醤油も塩も付いていない。なによりご飯がまずい。形はジャポニカ米なのですが、日本米独特のモチモチ感がほとんどなし。温めても、お箸の間からぽろぽろとこぼれ落ち、それを見るだけでも脳がまずいと決めつけています。漬物風のものや和え物風の野菜も付いてはいるのですが、ご飯の上に載っているため、いちいち取り除いてレンジにかける気にもなれず、結果それらも多少温まったものになってしまい、こちらも興ざめ。いや、なかなか世の中うまくいかないものです。                                 昔、伊藤忠商事の人からだったか、コンビニ弁当について、”あれはノウハウの塊で、そう簡単にあのコストでできるもんではないんですよ” という話を聞いたことがあります。                              確かに。日本のコンビニ弁当と比べたら、月とすっぽん、日本の日清食品のカップヌードルとインドの日清カップヌードルほども違うと思われます。その違い、よくわからないとおもいますが。                        

*色合いもよく、一見悪くなさそうですが、日本のものに比べてしまうと・・・ご飯の中の赤いものは梅だったら良かったのですが、トマトです。容器はなかなか立派で、コストの半分を占めてるのでは、と思うくらいです。

Pastel

Pastelと書いて、「パステウ」と読みます。幅10cm x 縦20cmぐらいの餃子の皮のようなものの中に肉やチーズ、魚などを包んで油で揚げたものです。典型的なブラジルのストリートフードです。Feira(市場)が開かれるときは必ずと言って良いほど入口にPastelの屋台ができます。またFeiraでなくとも道端に朝からPastelを売っている屋台もあちこちに見かけます。もちろん固定のPastel屋もあって、Pastel da Maria(MariaおばさんのPastel屋)なんてのが有名です。      初めてFeiraに行ったときに、入口あたりで揚げ物を作っていて、その周りで地元に人たちが揚げたてのパイみたいなもの(Pastel)をおいしそうに食べていたのが気になっていました。それがPastelと言うものであることはポルトガル語の先生に教えてもらって知ってはいたのですが、朝からそんな揚げ物を食べる気にもならず、なかなか食べてみるチャンスはありませんでした。

*これはチーズのPastel.

普段のランチは事務所の近くにあるレストラン(6-7件あり)を日替わりで利用するのですが、その日は誰かが ”今日はPastelにしよう” と言い出し、私も前から食べてみたかったので、是非行ってみようということになりました。

その日は木曜日で、事務所の近くにもFeira(市場)が建つ日でした。歩いておよそ10分ほどで、Feiraの入り口に到着、例によってPastel屋も営業しています。  私は、お勧めと聞いていたタラ(鱈)のPastelを迷わず注文。         既に作ってあるものを揚げるだけですから、すぐできます。一つ6レアル(約150円)。揚げ物だからボリューム満点で、1つでも十分なような気がしましたが、みんな2つ目を注文しているので、私もつられて今度はチーズのPastelを追加注文。さすがに全部は食べられず。でもあからさまに捨てるのは店にも、また誘ってくれた人にも申し訳ないような気がして、分からないようにそっと紙の中に包み込み、紙を棄てるかのようにゴミ箱に入れたのでした。

揚げたてですからおいしいです。コーラなんかと良く合います。        一説によるとこれは日系人が始めたという事です。(中国人が始めたという説もあり) 

上記のPastelのチェーン店「Pastel d Maria」は、創業者は日系人女性だそうですから、日系人が始めたというのは本当かもしれません。人口的には大変マイナーの日系人ではありますが、実は大変多くの貢献をしているのです。これはブラジルへの貢献と言えるのかどうかわかりませんが、まずはPastelの紹介でした。

* 自宅近くにある Pastel da Maria. 中身は肉や魚、チーズ、チョコレートなど実にたくさんの種類があります。飲み物とセットで12.98ヘヤイスは屋台よりは高めです。

タクシーに携帯を忘れるーその2

タクシー運転手を特定でき、電話番号も分かったものの、何度電話しても出てくれません。イライラは募りますが、それを繰り返して、運転手が出てくれるのを待つしか方法はなさそうです。10回目ぐらいだったでしょうか、とうとう受話器を取ってくれました。                            ”今、高速道路を運転しているので、ちょっと待ってくれ。止められる所で車を止めてして見てみるから”                          およそ1分後、”あったそうです” とPLゴルフの日系人スタッフSさん。  ”あー!!良かった。ありがとうございます。ありがとうございます”      ”おお!神様ありがとう!!” ほんと、こころからそんな気持ちになりました。PLゴルフ場の人たちも、”奇跡に近いね。本当にラッキー、良かったですね” と一緒に喜んでくれました。                        ”じゃ、いまから引き返すけど、料金がかかるが良いか?” と言っていますが、とSさん。                                 ”もちろん。100万円でも払いますよ!”                   それから待つこと30分ほど。さっきのタクシー運転手がクラブハウスの入口まで来てくれました。                              ”どのくらいお支払いすればいい?”                     ”80ヘヤイス(約2,000円)”(ブラジルでは通常レアルとは言わないで、ヘヤイスと言います。米国でもドルよりもバックスと言うようなものだと思います)もちろん喜んで100ヘヤイスを差し上げました。                     それまではゴルフどころではなかったですが、これで気持ちよくゴルフを楽しめました。でもなぜかスコアーはいまいちでしたが。

後日PLゴルフのスタッフでいろいろ助けていただいたSさんにはチョコレートのセットを差し上げて感謝の気持ちをお伝えした次第です。           振り返ってみると、インド、ブラジルと2度までもタクシー内に携帯を忘れて、両方とも奇跡的に返って来るとは、私には運というものがあるのかも、なんて思ったりもしましたが、それにしては・・・

*ここのフロントで、ゴルフ場スタッフにお世話になりました。”感謝” の 2文字あるのみ。