60の手習い

リタイアした後の趣味というか、習い事というか、時間つぶしというか、典型的なものに短歌または俳句、詩吟、書道などがあります。いずれも体力は必要ありません。  私はまだ現役ではありますが、60の手習よろしく書を習い始めました。しかし私の場合は、日本やシンガポールに居るときからやっていたことなので、正確には「再開」ということになります、念のため。なぜブラジルくんだりで書道なのか?それは日系人が200万人もいて、それなりの先生がいるからです。さすがにインドでは叶わぬことです。                                     ゴルフ仲間で日本語の先生をやっているMさんに、Oさんという書道の師匠を紹介してもらいました。最初連絡を取った時は1月か2月ぐらいで、コロナはまだ他人事だったのですが、O先生との時間の調整が折り合わず、入門不成立。仕方がないので「独学」で再開することにしたものの、4月頃消耗品である墨を買う必要があったので、O先生にサンパウロで墨を売っている店を教えてもらおうと連絡してみたら、「コロナの為、対面では教えられないけど、WhatAppでやってみないか?」という話になりました。  O先生もそんなレッスンはやったことがないので、月謝の基準もないし、しばらく無料でOKということで始めてみました。(今は有料)                 そんなわけで、4か月以上もお世話になっていますが、O先生はまだ見ぬ書道のお師匠というわけです。     

Mさんによると、O先生は歳のころ70は超えたおばさん(おばあさん)で、コロナの為に日本語教室も書道教室も閉めてしまい時間が空いていたので、WhatsAppでの指導はO先生にとっても良い仕事というかアクティビティーになったようです。      先生から課題を送っていただき、それを自分なりに書いて返送し、先生からコメント、指導していただくという流れです。お互いに時間の制約がほとんどなく、物理的移動もないので、その点は大変好都合ですが、対面での教室にくらべれば少なからず不都合があることも事実です。「百聞は一見に如かず」で、目の前で一度みれば理解できることでも、WhatAppで説明するとなるとなかなか大変です。 

一旦は一人で始めると決めたものの、やはりこういった定期的な指導や刺激がなかったならば、到底続いていなかっただろうと思います。そもそもこのデジタルの時代に筆字を習う必要があるのか?全然ありません。ただ書いてみたいだけです。このブログと同じかも知れません。特に目的があるわけでもないですが、時間が空いた時に、硯にむかって墨の香りをかぎながらゆっくり墨をするのはなかなかいいものです。そして少しずつでも必ず向上してゆきますので、それはそれで喜びというところです。

*こんな風に写真を撮って送ると、コメント(指導)がもらえるわけです。
*「花いろをも香をも知る人ぞしる」と読みます。私も解説がないと読めません。自分でも読めない字を書く意味があるのか?という疑問はありますが、「そのうちわかるようになるから」という師匠の言葉を信じて。

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