ポルトガル語の学習

テニスシューズを買うのにも苦労したからというわけではありませんが、ブラジルにいるのならある程度のポルトガル語の知識は必須に思われます。それは赴任する前から覚悟というか予想はしておりました。前任者のM氏は親切にもポルトガル語の教本や辞書を2-3冊置いてってくれて、挨拶の仕方や、値段の聞き方、数の数え方などが書いてありますが、これらを力ずくで覚えれば良いのだろうか?まあそれでも乗り切れるとは思いますが、何事も基礎が大切と思われ、どこかで基本文法とか”決まり”だけでも習っておいた方が近道ではなかろうかと考え、だれか適当な先生を探すことにしました。かといって、会社のなかの誰かに習う、というのは立場上あまり好ましからぬと思われ、社内のOさんにもらった月刊ミニコミ誌”Pindorama 10月号”をパラパラ見ていると、最後のページに”Classificados” すなわち英語のClassified(広告欄)に一つだけ     ”ポルトガル語教えます。ノリコ” というのがありました。その先生が良いのか悪いのかという問題もありますが、私にそんな判断ができるはずもなく、また”授業料”もどこも似たようなものだろうと考えて、早速メールをしてみました。

*Pindorama(ピンドラーマ)とは先住民のことばで”ヤシの国”という意味だそうです。この手のミニコミ誌はどこの国でもありますね。

すぐに返事が返ってきて、冒頭には ”ではこれから頑張って日本語で書きます” とあります。ノリコとは日本人女性の名前ですが、どうも日系ブラジル人のようです。 生活に必要な基本だけでいいので、 とこちらの趣旨を説明し、     ”では早速今週の土曜日からお願いできますか?”               ”了解しました。では夕方4時から1時間30分ほどということで。ただ、家の前には3つほどテントがあって、ホームレスが住んでいるんですが、彼らはいまやAmigo(お友達)なので、心配しないでください”                  教室は自宅から3つ先の駅Sao Joaquimで、日本人街のLiberdadeの一部と言えるところでした。                              ノリコさんは年のころ50歳ぐらいのおばちゃん(失礼!)で、バブル絶頂期のころ日本の都立大学で勉強していたそうです。 恐らく3世でしょうから、その時本格的に日本語を勉強したものと思われます。会話はほぼネイティブですが、書くとなると結構大変ということなのでしょう。                   初日はほとんど雑談というかお互いの自己紹介などで過ぎてしまいましたが、”60の手習い” 果たしてどこまで学習効果が期待できるものかは。

 ちなみにノリコさんによると、その頃の日本はバブルに沸いていてすごかった、そうです。日本にいた私が他人事のように言うのも変かも知れませんが、そのころは名古屋にいて、会社もバブルの恩恵などまるでなく、そんな雰囲気はほとんど感じなかったです。でも名古屋でも多くの外国人が日本を訪れていて、日本語を勉強したり出稼ぎに来ていたのは確かにありました。

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